僕は、整形外科クリニックと脳神経外科クリニックのリハ室の立ち上げに関わって、かつ双方でリハ室長を務めた事がある。
PTでもない僕がそういう経験をする事が出来たのは、運と巡り合わせの結果なんだけれど、それまでスポーツ現場とパーソナルトレーニングの世界で生きてきた人間にとって、二つのクリニックで過ごした時間は「医療」とは何なのかを改めて考えさせられる貴重なものだった。
端的に言って、「医療」とは算定報酬だ。
医療はビジネスなので、来院してきた人にとりあえず「診断名」をつける。原因が分かろうと、そうでなかろうと、「とりあえず大丈夫そうだから、診断名もつけれません。お疲れ様でした〜」などという事は絶対にない。
運動器リハなり脳血管リハなり、とにかくリハ点数がつく「診断名」をつけない事には始まらない。診断名がついて、初めて患者は金になる。
医療現場におけるリハビリテーションというのは、医療保険を使う場合は、当然ながら「国が決めたリハビリテーション」を提供するものになる。
でも、実際には診断名などではカテゴライズできない「症状」を、みんな抱えている。点数がつかないような痛みや困り事を抱えている。
「国が決めたリハビリテーション」と、真の意味でのリハビリテーションには、少なからず乖離がある。
1単位20分、1単位何点。こうしたレギュレーションがなければ医療リハの垂れ流しが横行してしまうから、それが必要なのは身に染みて理解しているつもりだ。
だが、本当のリハビリテーションは、そんな世界には存在していない。
医療保険という既得権の中に、本当の意味でのリハビリテーションは存在していない。
診断名から人を観る必要性など、この世界には、実は存在していない。
「医療」という響きは、どこか「高度な専門性や知識が担保されているもの」という思い込みを生みやすい。そして、そうした思い込みを利用して、患者達に「先生」と呼ばれて踏ん反り返る理学療法士達をたくさん見てきた。
下らねえな、と思う。
リハ室にいた頃には、そういう連中と散々議論したものだった。
本当に高度な専門性や知識を持っているなら、「国が決めたリハビリテーション」などという偽りに頼る事なく、制限される事なく、自費で理想を追求すればいいのに、なんでやらないの?と、あなたは結局「医療保険」という虎の威を借りないと、仕事にならないんでしょ?と、言うとガチ切れされたものだ。
当時の、今よりもトガっていた自分の不躾さには呆れてしまう。日本の国民皆保険の素晴らしさは、世界に誇れるものだと今は思う。
その一方で、医療現場から離れている今、「医療」という制度がリハビリテーションの本質を捻じ曲げてしまっているように以前より強く感じる事もある。
僕らが医療、リハビリテーションだと思っているものは、実際には国が決めた「制度」に過ぎない。
本当の医療、本当のリハビリテーションは、その外にある。
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